hitschiの日記

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『女帝 小池百合子』を読んで、「この国って、一体、大丈夫なんだろうか?」と不安になった

 

女帝 小池百合子 (文春e-book)

女帝 小池百合子 (文春e-book)

 

 今、話題のベストセラー本、『女帝 小池百合子』を読みました。

 

かなりの衝撃を受けました、、、。

 

この本には、2020年6月現在東京都知事である、小池百合子氏のこれまでの人生と、彼女をキーにして見た、この30年間に、起こった政治界が描かれています。

 

人間は、こんな風に生きることが可能なのか、、、。私たちは、どれだけマスコミに踊らされ、何も見えていなかったんだろう、、、と思いました。

 

しかも、政治家が大風呂敷を広げてきた、〇〇劇場は、全て、こんな薄っぺらで成り立っていたなんて、、、。

 

 こんな政治が率いている、この国がまだ潰れていないのが、不思議なぐらいだと思いました。

 

そして、彼女が作り出した、あまりにも壮大な彼女の虚飾の「物語」と、

 

その物語を生きるために、権力者に取り入っては邪魔者をどんどん排除する、、、

 

そのパワーとえげつなさは、まさに怪物

 

そして、彼女のような「怪物」を生み出してしまった背景には、日本の社会が、あまりに男社会であることも浮かび上がってくるなぁと思いました。

 

書かぬことの罪

 

 

筆者の石井妙子さんは、ノンフィクションライターとして、様々な女性の人生を丁寧に資料を読み、関係の人々に取材をして、記録してこられました。

 

この本は、最初は月刊誌からの執筆依頼だったそうです。それを引き受けるにあたり、資料を読み込むうちに、次第に違和感がぬぐえなくなり、疑念が次々と湧き上がって来られたとのこと。

 

この本は、一種の暴露本のように見えるけれども、すでに公にされている様々な情報の、あまりに多くの辻褄の合わないことを丁寧に検証することから始まっています。

 

それによって、私たちが、この平成の30年間に、マスコミを通じてずっと見てきたはずのことが、全く違う様相を帯びて見えて来ることに、誰もが衝撃を隠せないと思います。

 

あとがきで筆者はこう書いています。

 

ノンフィクション作家は、常に二つの罪を背負うという。

ひとつは書くことの罪である。もうひとつは書かぬことの罪である。後者の罪をより重く考え、私は本書を執筆した。

 

 

3年半にも及ぶ丁寧な取材、膨大な資料と膨大な関係者からの証言。

 

単なる暴露本ではなく、

 

現実がちゃんと見えるように提示し、

 

この30年間に政治の世界に起こってきた出来事を改めて考え直すこと、

 

そして、このような「怪物」を生み出してしまった社会についても反省とともに見直すべきであるという、

 

筆者の強い意思を感じました。

 

女性の活躍の現実

 

東京都の歴史において、初めての女性の都知事誕生など、彼女のこれまでの経歴は、女性が活躍する時代になったということを象徴する面が、大いにあったと思います。

 

しかしながら、どうして彼女がここまで上昇してこられたのか、その背景がわかってくると、今、私たちがいる社会が一体どういうところなのかということも、浮かび上がってきます。

 

経済なんか知らなくたっていいんだよ。とにかく小池は目が大きくて、キラキラと輝いている。あの眼がいいんだ。それに普通、女の子は行かない中東何かに留学して、カイロ大学を卒業しているから、とにかく話が面白いんだよ

 

これは、彼女をワールドビジネスサテライトのメインキャスターとして取りあげたテレビ東京の社長の言葉だそうです。

 

男性キャスターのアシスタント的な存在でしかなかった彼女が、普通の女性ではいけないような高い権力の場に上がっていくことができた理由です。

 

彼らに話を適当に合わせているだけなのに、『彼女はなかなか頭がいい、よくわかっている』なんてね

 

これはテレビ東京の本報道記者の証言

 

何か中身のあることを言っていなくても、そこにいるだけで、わかっている、すごいと思わせる

 

これは才能だとは思います。

 

一方、女性であるがゆえにもてはやされる。それも、中身について話していないことが、より優位に働くという皮肉。

 

男性社会の中に女が入り込むには、女を捨てて擬似男になるか、女を売って、飾りとして男社会の中に入るのかのどちらかしかない。

 

そして、彼女は後者を選びました。

 

政財界は会合やゴルフに女性キャスターを呼びたがる。ゴルフとカラオケで彼女の人脈はますます強く、太くなっていった。シンポジウムのパネラー、官庁の審議会メンバーにも女性が1人はいたほうがいい、と言うことで女性キャスターに声がかかる。彼女たちに専門性があるわけではない。だが間やる男性たちの好みが反映されるのだ。政治や経済と言う分野は男社会の中の男社会であり、だからこそ、女性には甘くなると言う一面があった。大きな瞳、カイロ大学卒業と言う経歴、ゴルフやカラオケ、気の利いた受け答え、巻き舌の英語によって彼女の道が切り開かれていく。

 

彼女が歩んだ道を辿ることで、見えてくることの一つに

 

日本の男性社会がいかに女性を受け入れてこなかったかということがあるのではないでしょうか。

 

つまり、男性よりも中身のある女性を一切入れたくない、そういう社会であるということです。

 

「女性は男以上に成功してはいけないの法則」

 

男性と同等かあるいはそれ以上にバリバリとやってくれる女性を入れることはプライドが許さない。

 

中身が空っぽで見栄えが良く男性に寄り添ってちやほやしてくれる、お飾りの女性ならば入れてもいいという、

 

そういう構造です。

 

彼女は、そういう意味で、上にのぼるために、この構造にぴったり当てはまるような存在として振る舞った、、、。

  

女性活躍の現実は、活躍できそうな女性は排除して、

 

見栄えよく、男の虚栄心を満たしてくれるような、絶対に活躍できそうにない空っぽの女性だったら参加させてもらえる

 

わたしたちが、強烈な男性社会に生きていることは、わかっているけど、こんな形で改めて知らされると、やっぱりガッカリします。

 

父の娘

しかしながら、小池百合子は自分を取り立ててくれた男性たちを、物の見事に次々と裏切って行きます。

 

小池さんはよく、お父さんが政治家になろうとして借金をし大変な思いをしたと語っていたそうです。だから世間への怨みがあるんでしょうか。社会的な地位の高い人に擦り寄っていくイメージがありますが、最後はそういう人を足蹴にする。お父さんのことが影響しているのか、成功した男性を貶めたいという心理もあるように見える。

 

そして、彼女は、「ミニスカートとハイヒール」という、「女性」性を徹底的に売って自分を広報していく。

 

ミニスカートから伸びる足を見せ、男性の望む女性の姿を完璧に使いこなす。

 

そして、紅一点であることを大事にし、他の女性が自分と同じように、男性社会の中に入ってくることは嫌う。

 

筆者は、こういう、小池百合子の性質について、フェミニストの論客、田嶋陽子さんの言葉で説明します。

 

フェミニズムの世界では「父の娘」と言うんですよね。父親に可愛がられて育った娘に多い。父親の持つ男性の価値観をそのまま受け入れてしまうので彼女たちは、女性だけれども女性蔑視の女性になる。男性の中で名誉白人的に、紅一点でいることを好む。だから女性かと言えば女性だけれど、内面は男性化されている。 

 

女の敵は女である」という構造は、こういうところにあったのかと思いました。

 

女性だから女性の立場を理解し、共感し、女性のために改革をしてくれると期待したくなるものです。

 

しかしながら、小池百合子という人物は、女性のことを理解してくれるリーダーではない。

 

女性の問題を解決しようと、女性議員同士で超党派で解決しようという集まりにも参加しようとはしない。

 

男性社会が、生み出した「怪物」であり、男社会で生き延びるためにそうせざるを得なかったという側面も見えてきます。

 

 

「物語」の検証

この本では、小池百合子が作ってきた数々の虚構の彼女の「物語」についても丁寧に検証しています。

 

彼女の学歴詐称疑惑についてはことさら丁寧に調査をしています。

 

ただし、この著者も学歴詐称ということを揚げ足を取るように、検証している訳ではありません。

 

やはり、公人として虚偽は許されないということ。そして、嘘によって自分を大きく見せ、ごまかす彼女のやり方を問題視しようとしています。

 

そのため、一番の問題は、やはり政治としてなされるべき事がなされないということを言っています。

 

彼女が彼女になれたのは、彼女の「物語」に負うところが大きい。本来、こうした物語はメディアが検証するべきであるのにその義務を放棄してきた。そればかりか、無責任な共犯者となってきた。その罪もして意識しておきたい。

彼女のこうした資質は、都政にも影を落としている。

公約が少しも果たそうとしない。

 

メディアは、社会をチェックする機能を持っています。それなのに、政治家たちのパフォーマンスに乗って、劇場を作り上げ、その内容についてきちんと検証してこなかったことは大きな問題だと思いました。

 

そして、それは、私たちも同じで、えらい人たちがちゃんとやってくれているから大丈夫とのんきにしていないで、今、世の中で、政治がどういうことをしようとしているのかとか、きちんと見ていかなければならないと強く思いました。

 

政治について知ることの大事さ

彼女は、「敵」を作り出して攻撃し、「敵」への憎悪を人々の中にも植えつけ、その憎悪のパワーを利用して自分への支持へとつなげていくという手法を何度となく駆使している。

 

虚栄心に捕らわれ、その虚栄心ゆえに危険な演技者となるといったタイプの偽政者は他にも、また過去にもいた。彼ら彼女らは国民を煽り、結果としえ国民を不幸に突き落とす。自分の言動の「効果」を計算し、自分が与える「印象」ばかりに気を取られ、それを優先し、それによって生じる現象に対する責任を安易に考える傾向があるからだ。

 

筆者は、彼女はまさにデマゴーグ(人々を煽って先導する指導者)ではないかといいます。そして、さらに、マックス・ウェーバーの言葉を引用し、その危険性を訴えます。

 

デマゴーグ(注・大衆扇動者型政治家)の態度は本筋に促していないから、本物の権力の代わりに権力の派手な外観(シャイン)を求め、またその態度が無責任だから、内容的な目的をなに一つ持たず、ただ権力のために権力を享受することになりやすい。権力は一切の政治の不可避的な手段であり、従ってまた、一切の政治の原動力であるが、というよりむしろ、権力がまさにそういうものであるからこそ、権力を笠に着た成り上がり者の大言壮語や、権力に溺れたナルシシズム、ようするに純粋な権力崇拝ほど、政治の力を堕落させ歪める物はない(マックス・ウェーバー著 脇圭平訳 『職業としての政治』

 

この本で、小池百合子という政治家の姿が検証されていけばいくほど、

 

純粋な権力崇拝によって動いている人間であり、どれほど恐ろしい人物なのか

 

ということが証明されていくばかりです。

 

読めば読むほど空恐ろしい気持ちになってしまいました。

 

しかしながら、一体、どうして、この社会が、彼女の真の姿を見抜けなかったのだろうという疑問が湧いてきます。

 

それが権力の力であり、権力が引き寄せるものであり、また、デマゴーグのやり方だと言われれば、そうなのかもしれません。

 

しかし、それは、この現代社会が、どれほど薄っぺらく軽薄な物事で成り立ってきたかということを示してもいるのだと思います。

 

しかし、このままでは、さすがにまずいのではないかと思いました。

 

もうちょっと、ちゃんと勉強しようと思いました。

 

でも、政治は難しい、、、。

 

なんとか、もう少し、わかりやすくならないんでしょうかね、、、。

 

新聞とか本を読んで、地道に、アンテナを立てて、勉強していくしかないんでしょうね。

 

もっと、政治が自分の生活につながっている意識を持っていきたいと思いました。

 

学校でも、政治の基礎知識とかもっと教えて欲しかったなぁ。

 

あとは、選挙の時に、派手なパフォーマンスばかり報道せずに、きちんと政治家の政策について議論したり、政治家の業績について、もう少しちゃんとした評価ができるような説明をしてくれるメディアとかが増えて欲しいです。

 

最後に

それにしても、小池百合子という政治家について検証されたこの本を読んで驚いたのは、本当に、人間は、これほどまでに嘘をつき続けることができるものなのだろうかということでした。

 

こんなにも虚構にまみれていながら、平静を保ち続けることができるということが、事実であるとすれば、あまりに衝撃です。

 

しかしながら、もしかすると、多くの人にとっても、同じように衝撃であるからこそ、

 

まさか、そんなに嘘であるはずがない、と、

 

ちゃんと検証してくることができなかったのかもしれません。

 

この本に書いてある通りであるとすれば、小池百合子という人は、類まれな出世を果たした女性ということも含めて、やはり通常の人とは大きく違うのだろうと思います。サイコパス的な特徴があるようにも思います。

 

 

サイコパス (文春新書)

サイコパス (文春新書)

 

 

 

とにかく、衝撃の本でした。

 

読み始めたら、途中でとめることができなくて、一気に読み進めてしまいます。

 

読み終えた後、ボーゼンとしてしまい、しばらく廃人になってしまうしかないほどの衝撃、、、

 

わたし自身だって、小さな嘘もいっぱいついていると思うし、決して、立派な人間ではないけれども、それにしても、、、ショックでした。

 

とにかく、わたしたちが生きる現代の社会の現実を見て、考えるために、ぜひとも、たくさんの人に読んで欲しいです!