hitschiの日記

毎日少しずつでも、進化したい!

子どもの頃の夢って何だった? やっぱり、まわりの環境も大きく影響するよねぇ。

オリンピックが始まってから、毎日テレビに釘付けになっています。

外は暑いし、ステイホームだし、まあ、ちょうどいい具合です。

 

毎日色々な選手たちの活躍ぶりがテレビで放映されていますが、改めて見ると、選手のみなさんは若い方々ばかり、昔は同年代の選手の方も多かったですが、気がつけば、着実に年月が経っていて、いつの間にか、自分が選手の親世代になっているのでした。

 

もし、わたしに自分の子どもがいて、オリンピックに出ていたら感動するだろうなぁという想定で見ると、汗をふりしぼって頑張っている選手を見るだけで、めっちゃ泣けます!

 

ふと、将来の夢にオリンピックに出場するという夢って、どうやって持つのかなと思いました。

 

私は、子どもの頃から、ものすごく運動神経が悪かったので、オリンピックの選手になるなど、畏れ多すぎて想像すらできません。

 

やはり、才能のある人は、競技を始めた時に、

「もう、これだ!俺にはこれしかない!」

みたいな、いわゆるビビッとくるものがあるんでしょうか?

 

あるいは、親とか、親戚とか、近所の人とか、まわりにオリンピック選手がいて、「かっこいー!」って思ったんでしょうか?

 

何となく、その両方なんだろうなぁという気がします。特にまわりにロールモデルがいるというのが重要なのではないでしょうか。

 

オリンピックの特集の番組を見ていると、卓球の伊藤美誠選手も両親が卓球選手だったという話や、スケートボードの堀米雄斗選手も父親がスケートボードをやっていたという話が出てくるからです。

 

やっぱり、幼いうちの身近なロールモデルの存在って、ある程度の年齢までは、人の成長に大きな役割を果たすのだろうなぁと思った次第です。

 

お父さんみたいになりたい!と思った従姉妹の子ども

そういえば、つい最近ですが、久しぶりに叔母と電話で話したことを思い出しました。

 

叔母の孫、つまり私の従姉妹の子どもが、この春小学校を卒業して中学校に入学したとのこと。ついこの間まで甘えん坊だった男の子です。子どもの成長はつくづく早いなぁと驚きます。

 

 その彼が、小学校最後の記念に「将来の夢」をテーマに作文を書くことになって

 「将来、僕もお父さんのようにサラリーマンになりたい」

と書いたそうです。

 

叔母は、「夢がないと言えばそうなんだけど・・・」と言いながら、嬉しそうでした。

 

私も、とても素敵なことだと思います。子どもが親のことを信頼している証拠ですもんね!

 

彼の父親も、ずいぶんと喜んでいたそうです。

 

父親をロールモデルとして見ることで、大人になったらどんな風に生きていけばいいのだろうというぼんやりとしたイメージがつかめると、子どもはその時は、それに向かって頑張ろうと思えるのかな。

 

でも、今のように社会の変化が激しいと、子どもが大人になった時の社会はきっと今とずいぶん違うだろうから、そのまま親のロールモデルを持ち続けるわけにもいかないのかもしれないなぁとも思います。

 

まあ、どちらにせよ、いつの世も、子どもはいつか親ばなれをして成長していくものだから、自分で選んだロールモデルから離れて、それぞれの道を歩んでいくものなんでしょうね。

 

お母さんみたいになりたい!母をロールモデルにしたかったのに、それはダメだと言われて・・・。

ところで、私も小学校3年生の時に、「将来の夢」についての作文を書いたことがあります。当時、タイムカプセルに入れたのですが、二十年後に掘り起こされて、実家に送り届けられました。

 

ちょっと、恥ずかしいですが、私は、

「将来、キュリー夫人みたいに化学者になって、ノーベル賞を取りたい」

と、ずいぶん大それたことを書いておりました。

 

まわりにロールモデルがいたわけでもないのに、こんな大きなことを書いたのには訳があります。

 

最初は、私も、母や祖母という身近な存在に、同性のロールモデルを見て、

「お母さんのように幼稚園の先生になりたい。それがダメなら子どもを持ってお母さんになりたい。」

と書いていました。

 

母が、結婚前は幼稚園の先生だったという話を聞いていたからです。

 

ところが、家に帰ってきて、作文の話を始めた途端、母は、自分が結婚前に就いていた職業を辞めたことをすごく悔いていると話を始めました。そして、たまたま家にきていた祖母も、わたしに、女でも手に職をつけなきゃダメだと言い始めました。

 

いつの間にか私の作文から、話がすっかり変わって、これからの時代を生きる女性は、絶対に私たちのようになってはいけない。女でも手に職を持って自立しなければならない、だから女の子でも、学校でしっかり勉強して、資格を取るなどして自立して働いていかなければならない、そうしないと、すごく惨めなことになる、と言われました。

 

それを聞いて私は、てっきり、自分の作文の内容、つまり、母や祖母をロールモデルにして書くことはダメだと、言われたのだと思いました。しかも、「すごく惨めなことになる」って、一体、どういうことだろうと、とても恐怖に思いました。

 

よくわからないけれど、とにかくもう、作文に母や祖母のようになりたいと書くわけにはいかない、どうしよう・・・。

 

私は、将来の夢について書くのに相当悩みました。なぜなら、他に知っている大人の女の人で仕事をしている人は、幼稚園の先生や学校の先生、あるいはピアノの先生ぐらいしかいなかったんです。

 

当時の考え方において、女の子で手に職を持つということの選択肢の中では、やはり学校の先生になるというのが王道の一つだったのでしょう。祖母は、悩んでいる私に「ひーちゃんは学校の先生になるのがいいよ」と言いました。

 

ところが、せっかくの祖母のアドバイスでしたが、私はそれを将来の夢として書くのは、すごく嫌だなと思いました。多分、当時の担任の先生のことがそれほど好きじゃなかったからだと思います。

 

そこで、悩みに悩んだ私が、思いついたのは、世界の偉人の本から何かヒントが得られないだろうかということでした。

 

早速、学校の図書館で本を探しました。

 

 図書室には様々な偉人についての伝記やマンガがありました。ところが、偉人伝で取り上げられているのはほとんど男性ばかり。

 

それでも、なんとか見つけた女性の偉人伝は、ナイチンゲールヘレン・ケラーキュリー夫人

 

他にも女性の偉人について書かれた本はあったのかもしれませんが、その時の私は、たまたま図書館で見つけた、この3人からロールモデルを見つけるしかないと思いました。

 

しかし、注射が大嫌いな私にとっては、ナイチンゲールは絶対にモデルにできません。そして、ヘレン・ケラーは、どうやって自分のモデルにしてよいかわかりませんでした。そこで、私は、残ったキュリー夫人を選んだのです。

 

今となっては、ちょっぴり恥ずかしい思い出ですが、子どもなりに一生懸命考えていたことがちょっと愛おしいとも思える思い出です。

 

じいちゃんみたいになりたい!祖父をロールモデルにしたうちの弟

さて、私には5歳年下の弟がいるのですが、うちの弟も小学校の時に「将来の夢」という作文を書いていました。私はきっとこのことを忘れることはないと思います。なぜなら、あまりに衝撃の内容だったからです。

  

うちの弟は、

「しょうらいのゆめは、じいちゃんみたいにていねんたいしょくをすること。」

 しかも、

「なるべくはやくていねんたいしょくしたい。」

 と書いていました。

 

当時、私は小学校の高学年。私に宿題を見て欲しいと、低学年の弟が持ってきたその作文の内容を見てかなりショックを受けました。

 

だって、将来の夢って、なりたい職業を書くものですよね。

でも、「定年退職」って、職業じゃないじゃん!

 

当時、私は、弟にこの作文は絶対に提出してはダメだと言って、弟と大ゲンカしました。

 

しかし、弟が祖父をロールモデルにしたのは、当時の弟の立場にしてみたら、自然なことだったのだろうなぁと、今なら思います。

 

父親は一緒に住んでいたのですが、子どもにしてみたら触れる機会があまりありませんでした。バブル期に働き盛りだった私たちの父親世代は、家庭の中の存在が薄かったからです。当時はそれが普通だったと思います。

 

一方、祖父は常に私たちのそばにいました。一緒に住んでいたわけではないのですが、当時、母も祖母も働いていたため、定年退職後の祖父が私たち孫の面倒を見るために、家に通ってきていたのです。

 

だから、私たちが学校から帰ってくる頃に家で待っていてくれるのは祖父でした。祖父は昼過ぎにうちに来て、夜に祖母が車で迎えに来て家に帰って行きます。

 

祖父は、いつも台所のダイニングテーブルに手をついて、タバコを吸いながら、謡の本を広げて、テレビを見ていました。そんな祖父の横で、私と弟は宿題をして、祖父と将棋をさしたり、花札をしたり、一緒に相撲中継を見たり、野球中継をラジオで聞いたりしていました。

 

おかげで、私も弟も、ちょっとじじくさい趣味を持った子どもだったかもしれません。大正生まれの祖父の方も、昔の人なので、台所仕事などできる筈もなかったと思うのですが、昭和生まれの私たちのリクエストに応えようと奮起して、おやつに真っ黒なホットケーキを作ってくれたり、プリンやフルーチェを作ってくれたりもしました。

 

クラブ活動があった私よりずっと早く学校から帰ってくる弟にとっては、一緒に過ごす時間の多い祖父が自然と、大人の男性として生きるロールモデルとなったのだと思います。もしかしたら、「定年退職」という言葉の意味もよくわからずに、とりあえず「じーちゃんはていねんたいしょくしているらしい。だから、そう書いておこう」と思ったのかもしれません。

 

 さて、そんなうちの弟は、今や、将来の「定年退職」を目指して(?)サラリーマンとして一生懸命働きながら、今は育休をとって双子の女の子のお父さんとして奮闘中です。

 

姪っ子たちに買ってあげたいなと、洋服やおもちゃなどを見ていると、最近は、ジェンダー意識を子どものうちに植え付けることのないようにと、様々な工夫がされているものも多いです。そういうのを見ていると、これからの子どもたちは昔みたいに男女それぞれのロールモデルを見ようとしなくてもよくなるのかもしれないなぁと思います。

 

そして、私も、まだまだ人生の途上なので、今さら物理学や化学を学んでキュリー夫人を目指すということはないにしても、まだまだ夢を持っていきたいなぁと考えている今日この頃です。