hitschiの日記

毎日少しずつでも、進化したい!

名前とられたかも???

このところ、少し仕事をしようかなということで、いろいろ動いていて、その中で履歴書を書いたり職務経歴書を書いたりということをやっていました。

 

履歴書を書くとき、私は結婚して姓が変わってしまったので、現在の戸籍上の姓を書くわけなんですけれども、この自分の名前、改めて見ると、なんだかとても不思議な感じがします。

 

結婚してからの名前を使うようになって約9年になります。結婚した時は、いろいろ手続きはめんどくさくて嫌だなぁと思ったこともありましたが、一方、ああ、夫と同じ名前になるのかと、そんな感慨も覚えたようにも思います。そして、新しい名前は珍しい名前ではないので、親しみやすくていいなぁとも思いました。

 

でも、使い続けて9年近くたっても、どこか自分の名前じゃないみたいなところがあります。自分がまるで偽名を使っているみたいにちょっと後ろめたく感じてしまうような、なんとなく、自分が何かから逃亡して、ちょっと隠れて生活しているみたいな、そんな感じに思ったりします。まあ、結婚前の名前は38年間使っていたのに対し、新しい名前は8年とちょっと、まだまだ慣れないものなのかもしれません。

 

独身時代から一昨年まで続けていた仕事では、結婚してからも旧姓を使っていました。

 

その際、結婚して姓が変わったときに職場で様々な手続きをしました。姓が変わったと申告して、それからさらに旧姓使用許可申請書みたいなものを提出したと思います。

 

それで、今回、新しく働こうとする職場に提出する履歴書の備考欄に

 

「私事で恐縮ですが、できれば仕事では戸籍上の姓ではなく旧姓を使用したいと考えております。ご迷惑をかけしますがどうぞよろしくお願いします。」

 

と入れました。

 

これは派遣会社に勤めている夫のアドバイス

 

私はもういろいろ手続きが面倒臭くなっているのもあるので、別に今の戸籍上の名前でもいいかなと思ったのですが、夫が、昔の私の仕事を知ってくれている人から仕事が広がる可能性があるから、絶対に旧姓を使用した方が良いと言うのです。営業職で、常に人脈で仕事を広げてきた夫のアドバイスを聞いて、私も、なるほどと思いました。それに、今時、旧姓で仕事をすることで問題になるようなこともないからとのこと。

 

そういう意味では、仕事の場で、女性が旧姓を使用するのは、かなり普及してきたと思います。

 

しかしながら、ふと、以前の職場で、結婚した時に、生まれた時から私と共にあった名前だったのに、それを使うために許可をもらうというのは、それが形式的なものであったとはいえ、なんだかちょっと変だったなぁと思いました。

 

でも、考えてみると、今の私には、生まれた時の私の名前を証明するものが何もなくなってしまっていることに気がつきました。もちろん、戸籍で全部が掲載されているものを取り寄せれば、結婚して姓が変わったことを証明することはできます。

 

でも、現時点で私が持っている、運転免許証もマイナンバーカードも、保険証も、今の戸籍上の名前で、かつて私は私の名前を持っていたことを証明するものは、何にも手元にはありません。

 

ああ、私の名前は消えてしまって、もう私と昔の私を知っている人の記憶の中にしかないんだなぁと思いました。

 

 でも、やっぱり、私の名前なんだけどなぁと思いながら。

 

ところで、その名前にまつわるそういう感覚が見事に表現されたお話に出会いました。

 

最近読んだ村上春樹さんの作品集の中にあった「品川猿の告白」と言う短編です。

 

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 (文春e-book)

 

 

この中に登場する猿は、自分は猿なのに人間に恋をしてしまう、だけれどもその恋は実らないから、その思いを解消するためにある方法をとったという告白をします。

 

それは名前を盗むと言うこと。

 

猿はこう言います。

 

私が盗んでいくのはその名前の一部分、ひとかけらに過ぎません。しかし取られた分、名前の厚みが少し薄くなる、重量が軽くなると言う事はあります。日がいくらか陰って、地面に落ちた自分の影がそのぶん淡くなるのと同じように。ことによってはそのような欠損が生じてもご本人は明確には気づかれないかもしれません。なんだかちょっとおかしいなと感じる位で

 

あ、もしかしたら、私の名前も品川猿みたいなものに取られたのかもしれない、そう思ってみようと思いました。

 

猿が言うには、名前を取られた人には次のような症状があらわれると言うのです。

 

自分の名前が思い出せないみたいなことが、時として起こります。言うまでもなく、これはとても不便なことです-不都合なことです。それから自分の名前が自分の名前に思えなかったりもします。そしてその結果ある場合には、アイデンティティーの危機に近いことさえ持ち上がります。そういうのはそっくり全て私のせいです。私がその人の名前を盗んだからです。それはまこと申し訳ないことだと思っています。

 

ああ、自分の名前が自分の名前に思えなくなる時がある!

 

私にもある症状です!

 

しかも、私は、新しい名前でいる時に、別の自分を演じているようにも感じる時もあります。それで、なんとなく、ちょっといい奥さんを演じてみようかなとか、近所の親しみやすいおばちゃん風に振る舞う演技をしてみようかなとか思ったりするのです。

 

それは、ちょっとした悪戯をするみたいに楽しんでやっていることなのですが、昔の名前を持っていた自分と行動パターンが違うなと思う時があります。

 

そして、どうせ、名前は、私という人物が他の人と区別できればいいのだから、場合によってはどんな名前を使ってもいいのではないかと思ったりもします。

 

名前を名乗らないといけない時に、咄嗟に自分の名前が出てこなくなったりした時に、ふと思いついた偽名を使ってみたらどうなるかなとか、悪いことを考えたりもするんです。

 

私の名前が私の元にあった時には、そんなことはなかった。まさに、自分が自分でなくなっていくような感覚があります。こんなことを考えてしまう自分に不安を覚えたりもします。

 

物語の中の品川猿さんは、もう、そんな悪事に手を染めることは辞めたと告白しています。しかしながら、物語の主人公は、品川猿にその話を聞いた5年後に、ある女性から、まさに名前を盗まれたと思われる症状についての話を聞き、そこで物語は終わります。

 

ということは、品川猿さん意外にもたくさん名前を盗む者がいるのでしょう。きっと、私の名前もそういう誰かに名前を取られてしまったのだと思うことにしました。

 

ところで、この品川猿の話、なんとなく覚えがある気がしたのですが、村上春樹さんの過去の著作にもあるとのこと、ひっぱり出して読んでみました。

 

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

 

この物語で名前を盗まれたのは安藤(大沢)みずきさん、カウンセラーさんが猿を見つけてくれて盗まれた名前を取り返すお話でした。

 

これを読んでますます私の症状が何者かに名前を盗まれていると確信しました。戦国武将をはじめ、昔の日本では、次々と名前を変えていたとのこと、きっと、名前をとることを職業にしていた品川猿さんたちの仲間は忙しかったに違いありません。

 

ところで、夫婦別姓問題、何十年たっても日本では許可されないのですが、でも、歴史を紐解くと日本は元々は夫婦別姓の国だったようなのに、本当に不思議です。

 

もしかしたら、この名前をとるものたちがたくさん存在しているせいかもしれないですね。

 

姓が変わるときは、名前をとる絶好のチャンスです。

 

でも、品川猿さんも都内の地下の下水のところに生息しなければならなかったように、これからは、もはや住めるところがなくなって、生息数はきっとどんどん少なくなっていくはずです。

 

しかも、これからマイナンバー制度が定着していくようになったら、戸籍制度も非効率な気がします。もしかしたら、新しいテクノロジーによる変化の中においてはあっさり効率的な方向に動いていくのではないでしょうか。

 

そして品川猿さんの仲間たちも生き延びるためにきっと新しい働き方を模索して、名前をとることを仕事とせずに新しい仕事を見つけてくれるといいなぁと思います。