ダイエット宣言!!!
最近、めっきり涼しくなって、クーラーをかけずに生きていける日が過ごせるようになって心から一息つけた感じがしている今日この頃。
それなのに、私の心はイマイチ弾まない、、、。
というのも、この夏、思いっきり夏太りしてしまったからです!
とにかく、体が重くて、しかも、5月には普通に着ていた洋服が着られなくなっている!!!
袖に腕が通らないんです!
ガーン!!!なんで???
まあ、確かに、最近ちょっと太り気味だなぁとは思っていました。最初はコロナ太りかなと思っていたんです。それで自粛中から始めていたヨガに加え、朝の散歩の量を増やすことにしました。それが8月初めのこと。もうかれこれ1ヵ月ぐらい毎日12,000から15,000歩ほど歩いています。
ところが、
ところがです!
体重は減るどころか日々どんどん増えていたんです!!!
それに、気がついたのですが、コロナ太りにしては体重が増え始めたのは6月末から、つまり自粛期間が終わってからです。
特に体重の増加が激しくなったのがここ数週間の出来事です。3ヶ月半で5キロ近く増えています。去年までの平均体重と比べるとトータルで6キロ増えたことになります。
しかもむくみもひどい、、、涙
夕方になると足がパンパンに膨らんで皮膚が突っ張った感じがして痛いです。朝になると今度は顔や手がむくんでいて、手はまるで手袋をしているみたいな感じです。
いったい私の体、どうしちゃったのー???
医者に行って、いろいろ検査をしました。
なんとなく、予感があり、婦人科に行きました。
血液検査の結果、特段、異常はないけれど、まあ、案の定、あえて言うなら、 血液検査でFSHつまり卵胞刺激ホルモンの値が少し高くなってきているかなあということでした。
ということは、つまり、、、
そうなんです、はい。予感的中でした。
いよいよ、私にも更年期がやってきたみたいです。
まあ、普通に考えれば、年相応ですね。
よくよく考えてみれば、このところ、体が暑くて、超冷え性だった私の手や足からボーッと火が出ているみたいに暑くなっていたり、頭に血がのぼったみたいに汗がプシューって出てきたりといったことがありました。夏だし、そんなもんかなぁと思っていたけど、いつも、冷房が苦手な私が、夫が寒いというぐらい、冷房をガンガンつけていた。
もしや、これは、ホットフラッシュというやつ、、、。
それに、時々、心臓がドキドキして、口から飛び出そうに感じることもあった。
動機、息切れだ!
夜も疲れているから寝つきはいいものの、数時間すると、体の暑さで目が覚めてしまって、睡眠も浅くなっていました。
睡眠不足!
そして、むくみ、体重の増加!
それに加えて、体重が急激に増えたせいか、膝の痛みまで出てきました、、、。
ああ、更年期の症状って、こんなに不快なものだったとは、、、。
それで、もう、速攻、これらの症状をやっつけたくなりました。それは、もう、ホルモン治療するしかないでしょう!と。
しかし、それは先生に止められました。というのも、更年期というのは、おおよそ10年ぐらいかかるとのこと、その中でホルモン治療は長くて5年までしかできないそうなのです。そして、ホルモン治療は、ガクンと下がるホルモンの減少幅を緩やかにすることで体への負担を減らすものなので、今、下がり始めたばかりでやるのではなく、もう少し様子を見ながら取り入れていった方がいいのではないかということでした。
というわけで、とりあえずは、漢方治療から始めることになりました。
あと、オススメされたのがエクオールのサプリメント。長期で服用すると、女性ホルモンのような働きをしてくれるらしいのです。
体重の増加に関しては、要するに、食べ過ぎなのだと言われました。体重はあくまでインプットとアウトプットの結果とのこと。更年期に限らず、年齢を重ねるにつれて、代謝が落ちてくるのは普通のことなので、食べる量は年齢と共に減らさなければならないのだそうです。
先生は私と同年代の女性ということもあり、私たちが食べていい量というのは、一食につき、幼稚園児が持っている小さなお弁当の大きさぐらいの量なのだとおっしゃっていました。
えっ、そんなに少しなの???
なんとも厳しい、、、、。
人生で、まだまだ美味しいものいっぱい食べたいのに〜!
はあー、ガックリ。
でも、今は、とりあえず、いろいろな不調を少しでも和らげたい。
というわけで、私、ダイエットをしようと決意いたしました!
ここに宣言いたします!
目標は、適正体重!
そして、膝の痛みをなくすこと!
半年ぐらいかけて、去年までの体重に戻したい!!!
1ヶ月に1キロぐらいの減量を目指します!
現在の体重
64.3キログラム
35パーセント
目標体重
58−9キログラムぐらい
30パーセント以下
でも、性格的に、無理なことは出来なさそうなので、とりあえず、毎朝の散歩の運動量を増やすことと、一時期、流行っていたレコーディングダイエットにチャレンジしてみようと思います。
まずは、一体、自分がどれだけ食べているのか、チェックしてみようと思いました。
それで、FINCというアプリ、ダウンロードしました!
このアプリでは、大体のカロリーと摂取栄養素のバランスも見ることができるみたいです。早速、昨日の朝昼晩のご飯を記録したのですが、野菜をけっこう取っているつもりでしたが、ビタミン類が結構不足していました。あと、お肉も食べていたのに、タンパク質も足りていなくて驚きました。
人生100年時代と言われる昨今ですが、体の衰えは昔の人と同じようにやってきてしまうので、それを長持ちさせるように努力が大いに必要なのかもしれないと思いました。
あと、体を動かすことも大事だなぁと、、、。
この本を読んだら、とにかく、もう、体を動かさなきゃいけない!って気持ちになります。
また、体重の変化の進捗報告いたします!
名前とられたかも???
このところ、少し仕事をしようかなということで、いろいろ動いていて、その中で履歴書を書いたり職務経歴書を書いたりということをやっていました。
履歴書を書くとき、私は結婚して姓が変わってしまったので、現在の戸籍上の姓を書くわけなんですけれども、この自分の名前、改めて見ると、なんだかとても不思議な感じがします。
結婚してからの名前を使うようになって約9年になります。結婚した時は、いろいろ手続きはめんどくさくて嫌だなぁと思ったこともありましたが、一方、ああ、夫と同じ名前になるのかと、そんな感慨も覚えたようにも思います。そして、新しい名前は珍しい名前ではないので、親しみやすくていいなぁとも思いました。
でも、使い続けて9年近くたっても、どこか自分の名前じゃないみたいなところがあります。自分がまるで偽名を使っているみたいにちょっと後ろめたく感じてしまうような、なんとなく、自分が何かから逃亡して、ちょっと隠れて生活しているみたいな、そんな感じに思ったりします。まあ、結婚前の名前は38年間使っていたのに対し、新しい名前は8年とちょっと、まだまだ慣れないものなのかもしれません。
独身時代から一昨年まで続けていた仕事では、結婚してからも旧姓を使っていました。
その際、結婚して姓が変わったときに職場で様々な手続きをしました。姓が変わったと申告して、それからさらに旧姓使用許可申請書みたいなものを提出したと思います。
それで、今回、新しく働こうとする職場に提出する履歴書の備考欄に
「私事で恐縮ですが、できれば仕事では戸籍上の姓ではなく旧姓を使用したいと考えております。ご迷惑をかけしますがどうぞよろしくお願いします。」
と入れました。
これは派遣会社に勤めている夫のアドバイス。
私はもういろいろ手続きが面倒臭くなっているのもあるので、別に今の戸籍上の名前でもいいかなと思ったのですが、夫が、昔の私の仕事を知ってくれている人から仕事が広がる可能性があるから、絶対に旧姓を使用した方が良いと言うのです。営業職で、常に人脈で仕事を広げてきた夫のアドバイスを聞いて、私も、なるほどと思いました。それに、今時、旧姓で仕事をすることで問題になるようなこともないからとのこと。
そういう意味では、仕事の場で、女性が旧姓を使用するのは、かなり普及してきたと思います。
しかしながら、ふと、以前の職場で、結婚した時に、生まれた時から私と共にあった名前だったのに、それを使うために許可をもらうというのは、それが形式的なものであったとはいえ、なんだかちょっと変だったなぁと思いました。
でも、考えてみると、今の私には、生まれた時の私の名前を証明するものが何もなくなってしまっていることに気がつきました。もちろん、戸籍で全部が掲載されているものを取り寄せれば、結婚して姓が変わったことを証明することはできます。
でも、現時点で私が持っている、運転免許証もマイナンバーカードも、保険証も、今の戸籍上の名前で、かつて私は私の名前を持っていたことを証明するものは、何にも手元にはありません。
ああ、私の名前は消えてしまって、もう私と昔の私を知っている人の記憶の中にしかないんだなぁと思いました。
でも、やっぱり、私の名前なんだけどなぁと思いながら。
ところで、その名前にまつわるそういう感覚が見事に表現されたお話に出会いました。
最近読んだ村上春樹さんの作品集の中にあった「品川猿の告白」と言う短編です。
この中に登場する猿は、自分は猿なのに人間に恋をしてしまう、だけれどもその恋は実らないから、その思いを解消するためにある方法をとったという告白をします。
それは名前を盗むと言うこと。
猿はこう言います。
私が盗んでいくのはその名前の一部分、ひとかけらに過ぎません。しかし取られた分、名前の厚みが少し薄くなる、重量が軽くなると言う事はあります。日がいくらか陰って、地面に落ちた自分の影がそのぶん淡くなるのと同じように。ことによってはそのような欠損が生じてもご本人は明確には気づかれないかもしれません。なんだかちょっとおかしいなと感じる位で
あ、もしかしたら、私の名前も品川猿みたいなものに取られたのかもしれない、そう思ってみようと思いました。
猿が言うには、名前を取られた人には次のような症状があらわれると言うのです。
自分の名前が思い出せないみたいなことが、時として起こります。言うまでもなく、これはとても不便なことです-不都合なことです。それから自分の名前が自分の名前に思えなかったりもします。そしてその結果ある場合には、アイデンティティーの危機に近いことさえ持ち上がります。そういうのはそっくり全て私のせいです。私がその人の名前を盗んだからです。それはまこと申し訳ないことだと思っています。
ああ、自分の名前が自分の名前に思えなくなる時がある!
私にもある症状です!
しかも、私は、新しい名前でいる時に、別の自分を演じているようにも感じる時もあります。それで、なんとなく、ちょっといい奥さんを演じてみようかなとか、近所の親しみやすいおばちゃん風に振る舞う演技をしてみようかなとか思ったりするのです。
それは、ちょっとした悪戯をするみたいに楽しんでやっていることなのですが、昔の名前を持っていた自分と行動パターンが違うなと思う時があります。
そして、どうせ、名前は、私という人物が他の人と区別できればいいのだから、場合によってはどんな名前を使ってもいいのではないかと思ったりもします。
名前を名乗らないといけない時に、咄嗟に自分の名前が出てこなくなったりした時に、ふと思いついた偽名を使ってみたらどうなるかなとか、悪いことを考えたりもするんです。
私の名前が私の元にあった時には、そんなことはなかった。まさに、自分が自分でなくなっていくような感覚があります。こんなことを考えてしまう自分に不安を覚えたりもします。
物語の中の品川猿さんは、もう、そんな悪事に手を染めることは辞めたと告白しています。しかしながら、物語の主人公は、品川猿にその話を聞いた5年後に、ある女性から、まさに名前を盗まれたと思われる症状についての話を聞き、そこで物語は終わります。
ということは、品川猿さん意外にもたくさん名前を盗む者がいるのでしょう。きっと、私の名前もそういう誰かに名前を取られてしまったのだと思うことにしました。
ところで、この品川猿の話、なんとなく覚えがある気がしたのですが、村上春樹さんの過去の著作にもあるとのこと、ひっぱり出して読んでみました。
この物語で名前を盗まれたのは安藤(大沢)みずきさん、カウンセラーさんが猿を見つけてくれて盗まれた名前を取り返すお話でした。
これを読んでますます私の症状が何者かに名前を盗まれていると確信しました。戦国武将をはじめ、昔の日本では、次々と名前を変えていたとのこと、きっと、名前をとることを職業にしていた品川猿さんたちの仲間は忙しかったに違いありません。
ところで、夫婦別姓問題、何十年たっても日本では許可されないのですが、でも、歴史を紐解くと日本は元々は夫婦別姓の国だったようなのに、本当に不思議です。
もしかしたら、この名前をとるものたちがたくさん存在しているせいかもしれないですね。
姓が変わるときは、名前をとる絶好のチャンスです。
でも、品川猿さんも都内の地下の下水のところに生息しなければならなかったように、これからは、もはや住めるところがなくなって、生息数はきっとどんどん少なくなっていくはずです。
しかも、これからマイナンバー制度が定着していくようになったら、戸籍制度も非効率な気がします。もしかしたら、新しいテクノロジーによる変化の中においてはあっさり効率的な方向に動いていくのではないでしょうか。
そして品川猿さんの仲間たちも生き延びるためにきっと新しい働き方を模索して、名前をとることを仕事とせずに新しい仕事を見つけてくれるといいなぁと思います。
かわいい空調服着てみたい
ああ、暑い、暑い、暑いです。
ちょっと外を歩いただけで汗びっしょりです。家の庭に生えてきていた雑草たちもカリカリになっています。街を歩くと、所々何か匂います。野良猫の糞尿の匂い、そして、生ゴミみたいな何か腐ったような匂い、暑さで干上がって匂いも凝縮するのか、いろんな匂いがします。
そんな時に川沿いの流れの激しいところの側を歩くと気持ちいいです。さらさらと水が流れ、嫌な物が流されていくような、爽やかな気持ちになれます。
なので、毎朝、運動も兼ねて鴨川沿いを散歩しています。
その散歩の途中に目にする、近所のホテルの建設現場で働く人たちが着ていらっしゃる洋服がとても気になっています。初めて見たときに、冬に着るダウンジャケットのように見えて、こんなに暑いのになぜ?と思い、かなり衝撃を受けたのですが、よく見ると服の裾のあたりに扇風機のようなものがついていて、ダウンではなく空気で膨らんでいるようだということがわかりました。
昨日、会社から帰ってきた夫が、「ああ、俺も空調服着て会社に行けたらなぁ。」と言うのを聞いて、もしかしたら、あのダウンジャケットのような服のことではないかと思ったら、どんぴしゃり!
空調服、本当に涼しいらしいのです!
うちの夫は、営業職なので、この暑いのに毎日スーツです。でも、時々現場の方と一緒になることもあるらしく、その方々から着心地について聞いたそうです。
えー、そんなに快適なら、早速、私も着てみたいと思い、検索してみましたが、私が着てみたいと思う、綺麗な色や可愛らしいデザインの物がありません。
残念です、、、涙
ヒートテックとか、機能重視の洋服が発展してきたけれど、もしかしたら、これから、その変化は加速していくのかもしれないなぁと思いました。
冷暖房完備服!
服がだんだん宇宙服みたいになっていくのかも!
数十年前までは暑さは涼しさを演出する工夫で凌げたのに、今や私たちはもうエアコンをかけないと命の危険が及ぶ世界に住んでいます。
そして、今私たちが行っている感染症対策のあれこれも、ちょっと前だったらSFの世界のことでした。洋服だって、SFの物語の世界にしかなかったような、機能が発展した洋服がどんどん普通になって行くのかもしれないと思います。
ああ、でも、宇宙服みたいな服を着て外に行くのはどんどん面倒臭くなりそう。でも、まあ、VRもどんどん高性能になっていったりして、外に行くこともかなり少なくなっていくのかもしれないなぁと思いました。
十年後、私はどんな風に生活しているのかな。
目の前で起こっていることがみんなつながっている
雨、雨、雨、雨、雨、雨、、、、、、、、、、、、、、、
昨日は、明け方に、水の音の激しさが不穏すぎて、目が覚めてしまいました。
窓を開けて外を見てみると、
視界が水しぶきで真っ白でした。
シューッと降りしきる雨。
近所のお家の雨どいから落ちる水しぶきがジャバジャバジャバジャバと激しく流れ出てきて、道路は高いところから低いところへと水が波のように流れていました。
近所の鴨川の流れがゴォウ、ゴォウと遠くに聞こえてきました。
怖かったです。
再び、寝ようと布団に入りましたが、目がさえてしまって眠れなくなってしまいました。
幸い、昨日は、午前中には雨がおさまってきました。
しかし、今朝になって、再びものすごいどしゃぶりになって、また大雨警報が出されました。
しかも、この雨、これから一週間近くも続く可能性があるとのこと。
各地で激しい自然災害が起こり、テレビのニュースでも、数十年に一度の災害級の雨です、どうぞ、みなさん命を守る行動をしてくださいと訴え続けます。
コロナ禍のなか、さらに自然災害にまで襲われるなんて、、、
誰もがそんな思いに陥っていると思います。
あまりに様々なことが起きて、私は、目の前に展開していく出来事を、自分の目の前の激しい現実と自分の感覚が解離していく感じで、ボーゼンと見ていることしかできません。
ここ数ヶ月、どこか自分の時間が止まってしまったような感じもしています。
パオロ・ジョルダーノの『コロナ時代の僕ら』、アマゾンでベストセラーになっていて気になっていたのですが、今になってやっと読みました。
緊急事態宣言が出されている時は、正直、自分の目の前の世界に何が起こっているのかよくわからなくて、コロナのこととか、感染症のこととか、何も考えられませんでした。
日々飛んでくるニュースの情報だけで頭がパンクしていました。
今、やっと、少しずつ、何が起きていたのかということを考えたいと思い始めました。
やっと自分の中で、とまってしまった時間と、思考停止に陥っていた意識を取り戻しつつあるような感じです。
ウィルスは生命体
私は、新型コロナウィルスという、目に見えない恐怖が、そもそも、一体なんなのかということすら、自分の中で把握することができていませんでした。
とにかく様々な情報が溢れていて、
ウィルスは目に見えないけれど、確実に存在している。
なんだか、お化けみたいだと思いました。
ジョルダーノさんが書かれたエッセイ集であるこの本には、Covid-19と、このパンデミックについて理解を深められるヒントがたくさん散りばめられていました。
CoV-2(注:コロナウィルスのこと、 この本で作者は省略してこう呼んでいる)は人類が知る限りもっとも単純な生命体だ。その行動を理解するためには、僕らもウィルスの低い知能レベルまでいったん降りて、ウィルスが見ているように人間を見てみないといけない。さらに、CoV-2は僕らの個性にたいし、ほとんどなんの監視も持っていないという事実も覚えておく必要がある。僕らの年齢も、性別も、国籍も、好みも、CoV-2にとっては無意味だ。ウィルスの前では人類全体がたった三つのグループに分類される。まずは感受性人口、つまりウィルスがまだこれから感染させることのできる人々で、感受性保持者とも呼ばれる。次が感染人口、ウィルスにすでに感染した感染者たち。そして最後に隔離人口、ウィルスにはもう感染させることのできない人々だ。(中略)問題のCoV-2感受性人口はー新型ウィルスがまだ感染させることのできる人々は〜七五億人近くもいる。
新型コロナウィルスは、ウィルスという生命体である。
私は、この本を読んで、このことを、やっと理解することができました。
ウィルスの立場になって考えてみると、
ウィルスが生き延びるためには感染して宿主を持たなければならない。
そして、ウィルスが変異して、人間に感染できるようになれば、七五億人という膨大な宿主を得られる可能性が拡大し、生存に有利になるということ。
つまり、ウィルスが変異して新型になり、人間に感染することができるようになるというのは、
ウィルスにとっての生存競争なのだということを
やっと理解しました。
環境破壊によって感染症の危険が増えている
人が増えすぎた、都市に人が集まり過ぎている。
それが、今回のパンデミックの原因であると、頻繁に言われていました。
それって、人が増えすぎたから、人口を減らそうとする、そういう自然の動きなのかなって思っていました。
でも、そうではありませんでした。
人が行ったことが、めぐりめぐって、引き起こされている
ということを理解しました。
ウィルスは、細菌に菌類、原生動物と並び、環境破壊が生んだ多くの難民の一部だ。
つまり、人が増えすぎて、ウィルスなどの宿主であった野生の動物たちが住んでいた場所を奪ってしまった。それに加えて、温暖化を始めとする環境破壊が進み、異常気象が引き起こされ、それらの動物たちが生きていた場所が壊され、生きていけなくなってしまった。
地球上に住む生物たちの環境が大きく変化して、大量の生物が絶滅の危機にある。
そうなると、その動物たちを宿主としていたウィルスや細菌たちが、生き延びるために難民となって新しい宿主を探さなければならなくなってしまった。
そうして、その新しい宿主としての、最適な候補が人間だった。
こんなにたくさんいて、なお増え続ける人間。こんなにも病原体に感染しやすく、多くの仲間と結ばれ、どこまでも移動する人間。これほど理想的な引越し先はないはずだ。
人に感染できて、人を宿主にすることができれば、ウィルスは、長く生きながらえることができる。
ウィルスとしては、人間に感染出来る様になるのは、生存競争に打ち勝つこと。
それは、それは、必死で変異していくだろうなぁと思いました。
感染症のパンデミックが頻繁に起きるという予言に対して私たちができること
環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている。
私たちは、今、ウィルスの脅威にさらされています。
でも、実は最もたくさんの種族を侵略し、滅ぼしているのは、私たち人間であること。
さらに、地球温暖化の恩恵によって、エボラ、マラリア、デング熱、コレラ、ライム病、ウエストナイル熱など、たくさんの感染症が広がっているとのこと
今後もますます頻繁に発生する可能性が高まっているということ
このことは、とりあえず覚えておこうと思いました。
COVID-19と共に起きているようなことは、今後もますます頻繁に発生するだろう。なぜなら新型ウィルスの流行は一つの症状にすぎず、本当の感染は地球全体の生態系のレベルで起きているからだ。
梅雨だからということが言い訳にならないぐらいに、降り続ける異常な量の雨
毎年のように最高記録を更新している夏の気温
大洪水に、竜巻、山火事といった、世界各地で起こっている異常気象
新たなウィルスや病原体の出現
今、目の前で起こっている出来事がつながっていく。
これから、私たちは、どんな世の中に生きていくことになるのだろう。
そして、自分たちが生き延びるためにどうしたらいいのだろう。
それを考えるときに、この地球には、私たち人間だけではなく、たくさんの生物が生きていて、複雑な生態系で存在していることを忘れてはいけないのだなぁと思いました。
もう、遅すぎるかもしれないけど、少なくとも、環境について考え続けることは、やっぱりとても大事だろうと思います。
シェア文化に馴染んできたけど、たまに失敗もある話(洋服レンタル)
最近広まってきたシェア文化に、私も少しずつ馴染んできました。
今やっているのは、シェアカーと、シェア自転車、シェア洋服です。
(あ、Kindle Unlimitedも本のレンタルになるのかな)
昨年から始めたエアークローゼットは、そろそろ1年ぐらいになるでしょうか。
一度に3着の洋服をレンタルすることができます。自分の好みに合わせて、プロのスタイリストさんが選んでくれるサービスです。
なぜ、洋服をレンタルすることにしたのか。
昨年、断捨離をトライしていた時に、こんまりさんのメソッドに従って洋服からトライしました。
それで気づいたのですが、洋服って、いつの間にか増えてしまうアイテムナンバーワンだなぁと思いました。
購入する時は気に入って買うんですけど、意外と見かけと着心地が合ってなかったりして、見た目は気に入ったけど、意外に動きにくかったり、チクチクしたりして、体型に合わなかったり、着心地がよくないと、だんだん着なくなるものが出てきます。
衣替えの時に、整理しようと思うのだけど、見た目は気に入っているから、なんとなく捨てる気にはなれなくて、でも、着心地よくないからあまり着ないで、タンスの肥やしとなってしまう。
それに、気に入った洋服でも、お気に入りの時はヘビーに使用するけど、結構、ワンシーズン、ツーシーズン着ると、飽きてしまいます。
しかも、季節ごとに着るものが違うので、物量としてかなりの量になります。
というわけで、レンタルやってみよー!と思いました。
しかし、慣れてくるまで、いろいろ紆余曲折ありました。
送られてくる洋服が気に入る時もあれば、全然気に入らない時もあるからです。
気に入らない時は、すぐに返却すればいいのですが、でも、ワクワクと楽しみにしていて届いた洋服が気に入らないと、やっぱりガッカリしてしまいます。
顔写真や自分のサイズ、それから好みを記入して選んでもらいます。自分のクローゼットにある洋服をアップしたり、エアークローゼットのスタイルページからいいなと思うものを選んでおくと好みが伝わりやすいようです。
お気に入りのスタイリストさんを指名することもできますが、その場合はさらに500円の指名料がかかります。
その上で、
「トレンド」「クール」「フェミニン」「ベーシック」の4種類から選ぶのですが、
最初、この選び方がいまいちよくわからなかったんです。
「ベーシック」を選んだ時、
茶色のセーターに茶色のズボンが届いたことがありました。
え?私、土? みたいなコーディネートでした。
「ナチュラル系が好き」
と書いたせいかもしれません
それでも、再度「ベーシック」をトライすると、
今度は、木?のコーディネート
特にこちらのズボンは、クリスマスの季節だったこともあり、肌触りもベロア風で、かなりクリスマスツリー度が高かったです。
そうそう「ベーシック」の時に、こういう組み合わせもありました。
それぞれの洋服は色も形も好きなのですが、このコーディネートを見ると
野菜?
と思いました。
美容院の子に見せたら、
妖精?
と言われました。
これは、「ベーシック」でお気に入りの組み合わせでした。
セーターは気に入って購入しました。
基本的に、金運がいいと言われる黄色とか、黄緑とか、明るい色が好きなんです。
そのほか
「トレンド」を選んだ時はこんな感じ
なるほどー!
オシャレな感じなのですが、ちょっとスカート丈が短かったのとブラウスの背中があきあきだったのが、ちょっぴり恥ずかしくて、1回か2回着ただけで返却いたしました。
そして「クール」の時はこんな感じ
確かにクール!
でも、私、基本的に暗い色の洋服は好きではないんです。
毎回、感想を記入するところに、「明るい色合いの洋服でお願いします」と入れているのに、なぜ、こんな暗い色が届くのだろう???と、謎だったのですが、
「フェミニン」にしてから、暗い色の洋服が届かなくなりました。
つまり、「トレンド」「クール」「フェミニン」「ベーシック」という、この4つのカテゴリーは、色がもたらす雰囲気を表していたのかと、納得いたしました。
それで、最近は「フェミニン」に落ち着いています。
というわけで、エアークローゼットを使うようになって1年近く経って、すっかり洋服のレンタルに馴染んでいます。
スタイリストさんが選んでくださるので、毎回、私の情報を見ながら、好みを反映しつつも、ちょっとだけ冒険の要素を入れてくださっているようです。
おかげさまで、毎回、どんな洋服が送られて来るかなぁと、楽しみです。
最初は、他の人が着たものはどうなんだろう?と思っていましたが、きれいにクリーニングされているし、時々、新品に見える洋服も届きます。
それに、お家で洗濯することもできます。
レンタルで、たくさん使用することを前提にされているためか、素材も悪くないし、作りも割としっかりとしている物が届きます。
あと、基本的にウェストがゴムのものが多いので、着ていて楽ちんなのが多いのも嬉しいです。
というわけで、とっても気に入っているお洋服のレンタルサービスなのですが、
希望としては、コートの取り扱いがあるといいなぁと思っています。
毎年、冬が終わってから、コートをクリーニングに持っていくのが面倒くさくて、、、、。
でも、調べてみたら、
エアークローゼット以外でそういうサービスをやっているところもいろいろあるみたいです!
冬になったらいろいろ試してみようと思います!
夏越の大祓で、昔の人の気持ちを想像してみた
2020年も半分が終わってしまいました、、、
時間が経つのは本当に早い、、、
6月30日に、京都では夏越えの大祓という大切な行事が行われるとのこと
ご近所の神事担当の方が人型を持ってこられた時に、「面白いですよ〜、ぜひ一度体験してください」と言われたのを思い出して、雨のなか神社を覗いてみました。
この人型に名前と年齢を書いて、体を撫でて、息を吹きかけました。
夏越しの大祓は、日常生活のうちに知らず知らずのうちについてしまったけがれを落とす行事なのだそうです。
神社に行くと、
ぷう〜、ぷう〜、どん、どん という古楽器の演奏とともに、神主さんが、ことばを唱えていらっしゃいました。
階段を上がられて、降りられて、
そのうち、何か、神様がいらっしゃったとような感じで、そこにいた私たちもお辞儀をしました。
そして、配られた紙に書いてあった大祓の詞を神主さんに合わせて読みました。
なんだか、演劇の練習に参加しているみたいで、ちょっと面白かったです。
それから、神主さんの後に続いて、茅の輪くぐりをしました。
その時に
『水無月の夏越しの祓する人は千年の命延ぶというなり』
と唱えながら、左、右、左に向かって輪をくぐり抜けました。
柱に備えられた茅を持ち帰って、小さな輪を作るように言われましたが、茅が固くてうまく輪っかを作ることができず、ちょっと下手くそになってしまいました。
榊で四方をおはらいされて
最後に人型に書かれたお名前を読み上げて御祓をして頂き、
私も、自分自身に、白く切った細かい紙を撒いて、清めました。
帰りには、水無月というお菓子をお土産に頂きました。
上に載せた小豆は悪魔払いの意味があるとのこと、三角形の形は暑気払いの氷を表しているのだそうです。
下の白い部分は、ういろうみたいな感じで、甘すぎず、美味しくいただきました!
昔は月末にこのような御祓をしていたそうなのですが、今は、6月と12月の2回だけやるというようになっているのだそうです。
今年は、新型コロナという疫病が猛威を奮っているけれど、その昔も、きっと様々な疫病や自然災害などがあって、そういう災厄を避けたいという気持ちから御祓が行われていたのだと思うと、少しだけ、古代の人とつながったように感じました。
昔の人の気持ちになってみると、今は解明されているたくさんのことの原因がわからなかっただろうから、世の中は恐ろしい事に満ち溢れていたのではないかと思います。
自然災害も、地震はそんなに前には知ることはできないけど、台風とか予報のおかげで、事前に避難できたりするし
電気があるから、夜でも活動できます。
特に、灯りは、夜の世界を劇的に変えてくれたんじゃないでしょうか。
つい先日のことです。
夫と夜ご飯を食べて帰ってきた時に、いつも散歩している鴨川沿いを歩いて家に帰ったのですが、
鴨川沿いには外灯がついてないので、かなり、暗い夜道を歩くことになるのです。
毎朝散歩している道で、大体歩いて十分もないぐらいのはずの距離です。
しかし、夜道を歩いていると、いつも歩いているよりもとても狭い道に感じられて、なんとなく不安な気持ちになるのです。
しかも、たった十分ほどの道なのに、いつまでも辿り着かないようなそんな気持ちになってしまい、体感としては三十分ほどに感じられてしまいました。
川沿いに外灯がないというだけで、川沿いの建物の明かりもあるし、道沿いには外灯もあるので、歩いていても、真っ暗で何も見えない訳ではありません。
それなのに、知っている場所が、全く違う場所のように感じられて、本当に驚きました。
ということは、昔のように、全く外灯のない、真っ暗闇の夜は、どれほど怖かったことでしょう。
今の世の中に生まれて、昔と比べると、いろいろと忙しくなっているだろうけれど、昔よりも確実に、怖いものは少なくなっているんだろうなぁと思いました。
今の時代に、生きていてよかった!
でも、
もしかしたら、未来になっていくにつれて、今よりももっと、いろんな不確定なことや、わからないことが解明されていって、より不安の少ない世の中になっていくのかもしれないですね!
『女帝 小池百合子』を読んで、「この国って、一体、大丈夫なんだろうか?」と不安になった
今、話題のベストセラー本、『女帝 小池百合子』を読みました。
かなりの衝撃を受けました、、、。
この本には、2020年6月現在東京都知事である、小池百合子氏のこれまでの人生と、彼女をキーにして見た、この30年間に、起こった政治界が描かれています。
人間は、こんな風に生きることが可能なのか、、、。私たちは、どれだけマスコミに踊らされ、何も見えていなかったんだろう、、、と思いました。
しかも、政治家が大風呂敷を広げてきた、〇〇劇場は、全て、こんな薄っぺらで成り立っていたなんて、、、。
こんな政治が率いている、この国がまだ潰れていないのが、不思議なぐらいだと思いました。
そして、彼女が作り出した、あまりにも壮大な彼女の虚飾の「物語」と、
その物語を生きるために、権力者に取り入っては邪魔者をどんどん排除する、、、
そのパワーとえげつなさは、まさに怪物
そして、彼女のような「怪物」を生み出してしまった背景には、日本の社会が、あまりに男社会であることも浮かび上がってくるなぁと思いました。
書かぬことの罪
筆者の石井妙子さんは、ノンフィクションライターとして、様々な女性の人生を丁寧に資料を読み、関係の人々に取材をして、記録してこられました。
この本は、最初は月刊誌からの執筆依頼だったそうです。それを引き受けるにあたり、資料を読み込むうちに、次第に違和感がぬぐえなくなり、疑念が次々と湧き上がって来られたとのこと。
この本は、一種の暴露本のように見えるけれども、すでに公にされている様々な情報の、あまりに多くの辻褄の合わないことを丁寧に検証することから始まっています。
それによって、私たちが、この平成の30年間に、マスコミを通じてずっと見てきたはずのことが、全く違う様相を帯びて見えて来ることに、誰もが衝撃を隠せないと思います。
あとがきで筆者はこう書いています。
ノンフィクション作家は、常に二つの罪を背負うという。
ひとつは書くことの罪である。もうひとつは書かぬことの罪である。後者の罪をより重く考え、私は本書を執筆した。
3年半にも及ぶ丁寧な取材、膨大な資料と膨大な関係者からの証言。
単なる暴露本ではなく、
現実がちゃんと見えるように提示し、
この30年間に政治の世界に起こってきた出来事を改めて考え直すこと、
そして、このような「怪物」を生み出してしまった社会についても反省とともに見直すべきであるという、
筆者の強い意思を感じました。
女性の活躍の現実
東京都の歴史において、初めての女性の都知事誕生など、彼女のこれまでの経歴は、女性が活躍する時代になったということを象徴する面が、大いにあったと思います。
しかしながら、どうして彼女がここまで上昇してこられたのか、その背景がわかってくると、今、私たちがいる社会が一体どういうところなのかということも、浮かび上がってきます。
経済なんか知らなくたっていいんだよ。とにかく小池は目が大きくて、キラキラと輝いている。あの眼がいいんだ。それに普通、女の子は行かない中東何かに留学して、カイロ大学を卒業しているから、とにかく話が面白いんだよ
これは、彼女をワールドビジネスサテライトのメインキャスターとして取りあげたテレビ東京の社長の言葉だそうです。
男性キャスターのアシスタント的な存在でしかなかった彼女が、普通の女性ではいけないような高い権力の場に上がっていくことができた理由です。
彼らに話を適当に合わせているだけなのに、『彼女はなかなか頭がいい、よくわかっている』なんてね
これはテレビ東京の本報道記者の証言
何か中身のあることを言っていなくても、そこにいるだけで、わかっている、すごいと思わせる
これは才能だとは思います。
一方、女性であるがゆえにもてはやされる。それも、中身について話していないことが、より優位に働くという皮肉。
男性社会の中に女が入り込むには、女を捨てて擬似男になるか、女を売って、飾りとして男社会の中に入るのかのどちらかしかない。
そして、彼女は後者を選びました。
政財界は会合やゴルフに女性キャスターを呼びたがる。ゴルフとカラオケで彼女の人脈はますます強く、太くなっていった。シンポジウムのパネラー、官庁の審議会メンバーにも女性が1人はいたほうがいい、と言うことで女性キャスターに声がかかる。彼女たちに専門性があるわけではない。だが間やる男性たちの好みが反映されるのだ。政治や経済と言う分野は男社会の中の男社会であり、だからこそ、女性には甘くなると言う一面があった。大きな瞳、カイロ大学卒業と言う経歴、ゴルフやカラオケ、気の利いた受け答え、巻き舌の英語によって彼女の道が切り開かれていく。
彼女が歩んだ道を辿ることで、見えてくることの一つに
日本の男性社会がいかに女性を受け入れてこなかったかということがあるのではないでしょうか。
つまり、男性よりも中身のある女性を一切入れたくない、そういう社会であるということです。
「女性は男以上に成功してはいけないの法則」
男性と同等かあるいはそれ以上にバリバリとやってくれる女性を入れることはプライドが許さない。
中身が空っぽで見栄えが良く男性に寄り添ってちやほやしてくれる、お飾りの女性ならば入れてもいいという、
そういう構造です。
彼女は、そういう意味で、上にのぼるために、この構造にぴったり当てはまるような存在として振る舞った、、、。
女性活躍の現実は、活躍できそうな女性は排除して、
見栄えよく、男の虚栄心を満たしてくれるような、絶対に活躍できそうにない空っぽの女性だったら参加させてもらえる
わたしたちが、強烈な男性社会に生きていることは、わかっているけど、こんな形で改めて知らされると、やっぱりガッカリします。
父の娘
しかしながら、小池百合子は自分を取り立ててくれた男性たちを、物の見事に次々と裏切って行きます。
小池さんはよく、お父さんが政治家になろうとして借金をし大変な思いをしたと語っていたそうです。だから世間への怨みがあるんでしょうか。社会的な地位の高い人に擦り寄っていくイメージがありますが、最後はそういう人を足蹴にする。お父さんのことが影響しているのか、成功した男性を貶めたいという心理もあるように見える。
そして、彼女は、「ミニスカートとハイヒール」という、「女性」性を徹底的に売って自分を広報していく。
ミニスカートから伸びる足を見せ、男性の望む女性の姿を完璧に使いこなす。
そして、紅一点であることを大事にし、他の女性が自分と同じように、男性社会の中に入ってくることは嫌う。
筆者は、こういう、小池百合子の性質について、フェミニストの論客、田嶋陽子さんの言葉で説明します。
フェミニズムの世界では「父の娘」と言うんですよね。父親に可愛がられて育った娘に多い。父親の持つ男性の価値観をそのまま受け入れてしまうので彼女たちは、女性だけれども女性蔑視の女性になる。男性の中で名誉白人的に、紅一点でいることを好む。だから女性かと言えば女性だけれど、内面は男性化されている。
「女の敵は女である」という構造は、こういうところにあったのかと思いました。
女性だから女性の立場を理解し、共感し、女性のために改革をしてくれると期待したくなるものです。
しかしながら、小池百合子という人物は、女性のことを理解してくれるリーダーではない。
女性の問題を解決しようと、女性議員同士で超党派で解決しようという集まりにも参加しようとはしない。
男性社会が、生み出した「怪物」であり、男社会で生き延びるためにそうせざるを得なかったという側面も見えてきます。
「物語」の検証
この本では、小池百合子が作ってきた数々の虚構の彼女の「物語」についても丁寧に検証しています。
彼女の学歴詐称疑惑についてはことさら丁寧に調査をしています。
ただし、この著者も学歴詐称ということを揚げ足を取るように、検証している訳ではありません。
やはり、公人として虚偽は許されないということ。そして、嘘によって自分を大きく見せ、ごまかす彼女のやり方を問題視しようとしています。
そのため、一番の問題は、やはり政治としてなされるべき事がなされないということを言っています。
彼女が彼女になれたのは、彼女の「物語」に負うところが大きい。本来、こうした物語はメディアが検証するべきであるのにその義務を放棄してきた。そればかりか、無責任な共犯者となってきた。その罪もして意識しておきたい。
彼女のこうした資質は、都政にも影を落としている。
公約が少しも果たそうとしない。
メディアは、社会をチェックする機能を持っています。それなのに、政治家たちのパフォーマンスに乗って、劇場を作り上げ、その内容についてきちんと検証してこなかったことは大きな問題だと思いました。
そして、それは、私たちも同じで、えらい人たちがちゃんとやってくれているから大丈夫とのんきにしていないで、今、世の中で、政治がどういうことをしようとしているのかとか、きちんと見ていかなければならないと強く思いました。
政治について知ることの大事さ
彼女は、「敵」を作り出して攻撃し、「敵」への憎悪を人々の中にも植えつけ、その憎悪のパワーを利用して自分への支持へとつなげていくという手法を何度となく駆使している。
虚栄心に捕らわれ、その虚栄心ゆえに危険な演技者となるといったタイプの偽政者は他にも、また過去にもいた。彼ら彼女らは国民を煽り、結果としえ国民を不幸に突き落とす。自分の言動の「効果」を計算し、自分が与える「印象」ばかりに気を取られ、それを優先し、それによって生じる現象に対する責任を安易に考える傾向があるからだ。
筆者は、彼女はまさにデマゴーグ(人々を煽って先導する指導者)ではないかといいます。そして、さらに、マックス・ウェーバーの言葉を引用し、その危険性を訴えます。
デマゴーグ(注・大衆扇動者型政治家)の態度は本筋に促していないから、本物の権力の代わりに権力の派手な外観(シャイン)を求め、またその態度が無責任だから、内容的な目的をなに一つ持たず、ただ権力のために権力を享受することになりやすい。権力は一切の政治の不可避的な手段であり、従ってまた、一切の政治の原動力であるが、というよりむしろ、権力がまさにそういうものであるからこそ、権力を笠に着た成り上がり者の大言壮語や、権力に溺れたナルシシズム、ようするに純粋な権力崇拝ほど、政治の力を堕落させ歪める物はない(マックス・ウェーバー著 脇圭平訳 『職業としての政治』
この本で、小池百合子という政治家の姿が検証されていけばいくほど、
純粋な権力崇拝によって動いている人間であり、どれほど恐ろしい人物なのか
ということが証明されていくばかりです。
読めば読むほど空恐ろしい気持ちになってしまいました。
しかしながら、一体、どうして、この社会が、彼女の真の姿を見抜けなかったのだろうという疑問が湧いてきます。
それが権力の力であり、権力が引き寄せるものであり、また、デマゴーグのやり方だと言われれば、そうなのかもしれません。
しかし、それは、この現代社会が、どれほど薄っぺらく軽薄な物事で成り立ってきたかということを示してもいるのだと思います。
しかし、このままでは、さすがにまずいのではないかと思いました。
もうちょっと、ちゃんと勉強しようと思いました。
でも、政治は難しい、、、。
なんとか、もう少し、わかりやすくならないんでしょうかね、、、。
新聞とか本を読んで、地道に、アンテナを立てて、勉強していくしかないんでしょうね。
もっと、政治が自分の生活につながっている意識を持っていきたいと思いました。
学校でも、政治の基礎知識とかもっと教えて欲しかったなぁ。
あとは、選挙の時に、派手なパフォーマンスばかり報道せずに、きちんと政治家の政策について議論したり、政治家の業績について、もう少しちゃんとした評価ができるような説明をしてくれるメディアとかが増えて欲しいです。
最後に
それにしても、小池百合子という政治家について検証されたこの本を読んで驚いたのは、本当に、人間は、これほどまでに嘘をつき続けることができるものなのだろうかということでした。
こんなにも虚構にまみれていながら、平静を保ち続けることができるということが、事実であるとすれば、あまりに衝撃です。
しかしながら、もしかすると、多くの人にとっても、同じように衝撃であるからこそ、
まさか、そんなに嘘であるはずがない、と、
ちゃんと検証してくることができなかったのかもしれません。
この本に書いてある通りであるとすれば、小池百合子という人は、類まれな出世を果たした女性ということも含めて、やはり通常の人とは大きく違うのだろうと思います。サイコパス的な特徴があるようにも思います。
とにかく、衝撃の本でした。
読み始めたら、途中でとめることができなくて、一気に読み進めてしまいます。
読み終えた後、ボーゼンとしてしまい、しばらく廃人になってしまうしかないほどの衝撃、、、
わたし自身だって、小さな嘘もいっぱいついていると思うし、決して、立派な人間ではないけれども、それにしても、、、ショックでした。
とにかく、わたしたちが生きる現代の社会の現実を見て、考えるために、ぜひとも、たくさんの人に読んで欲しいです!